自由を生きる

ヴァシランドする生き方ってどんな生き方だろうか。

ヴァシランド(Vacilando)はスペイン語の動詞「どこか行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した旅をする」という意味です。

ネットで検索すると、動詞vacilar「ためらう、ぐらつく、からかう」の現在分詞ということが分かります。一方で、「Vacilando」を気に入っている人(日本人)は同じ本、エラ・フランシス・サンダース著「翻訳できない世界のことば」(創元社)に紹介されているこの捉え方に共感しているようです。ネット上のある方は、世界旅行に出て、メキシコで現地の人に聞いたところ「馬鹿なことをする、ふざける」という意味だったようです。

ともあれ、「どこか行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した旅をする」が、ヴァシランドなら、ヴァシランドする生き方をしたいなぁと私は思います。

なぜか?「No Destination」という本の筆者サティッシュ・クマール氏に影響され、2019年にスペインのサンティアゴ巡礼の旅をしてみて、その道中の体験があまりにも楽しく忘れがたいものだからです。また、「心に従って生きる」ことの大切さをアドバイスしてくれた友人の言葉にも一致するからです。

最近、鈴木大拙の「禅」と鈴木俊龍の「禅マインド」などを読みました。2人の鈴木の書籍はアメリカ社会に大きな影響を与えました。鈴木俊龍は1960年代にアメリカで活動した僧侶です。今という時代を区切っているのは、おそらくベトナム戦争ではないかと思うようになりました。

「自由に生きる」ことが「幸福を追求すること」とほぼ同じ意味に、当時(1960年代)のアメリカ人は考えていたのだと思います。アメリカが世界でいちばん輝いていた時代です。その輝きがベトナム戦争とともに暗転しました。ですが、「自由に生きる」ことを諦めませんでした。これまでの自由の在り方、自国文化の伝統を否定する姿勢を持つアメリカの若者たちが、ヒッピームーブメントを起こしました。大麻やLSDなど薬物による幻覚に依存する人たちもいました。それは、新しい自由への欲求でした。アメリカン・インディアンや東洋の文化への関心もまた、同じような理由からだったのかもしれません。

サティッシュは環境活動家で平和活動家、もと僧侶で東洋的な考え方をされます。彼に共感し、彼の人生に大きな影響を与えたE・F・シューマッハは仏教経済という考えを提唱しました。今の私の関心事は「新しい自由」であり、その意味で、ベトナム戦争以後の時代を生きているのだと感じます。

豊かさを手にした時代には多くの人が「自由に生きたい」と思います。

様々な経済の揺れ動きはありますが、私たちは今なお豊かな時代を生きています。

そうであれば、今なお「自由に生きたい」と思う人は多いのではないでしょうか。私たちは、ベトナム戦争以後の新たな自由を求める時代を生きています。

私の考えでは、ヴァシランドする生き方とは「自由を生きる」ことです。

0コメント

  • 1000 / 1000