自分の時間を生きる

ヴァシランドする生き方ってどんな生き方だろうか。

前回は「自由に生きる」ことに行きつきました。今回は「自由に生きる」ということは「自分の時間を生きる」ことを意味するということについて考えてみます。

 あなたも私も、その他の人たちも時間を気にしながら生活をしています。それは、1日の予定を時間で区切って考え、それに合わせて行動しようとすることです。しかし、時間そのものについて考えることはあまりしないのではないでしょうか。

 「時間」と聞いて思うのは、1年365日、1日は24時間、・・・秒、ということです。地球が太陽を1週する間に地球が365回自転していることから割り出した時間の単位です。時間は運動を測る単位です。また、「時は金なり」ということばもよく耳にします。私が最近気になっているのは「Time is Life (時は命)」ということばです。

 地球はこの先数億年、数十億年、もっと長い時間を今と同じように太陽の周りを回り続けます。人類誕生が数百万年ですから、地球の時間の長さは人にとってはほぼ永遠とも言えます。人に焦点を当ててみると、今は寿命100年時代と言われます。長さをどう受け止めるかは人それぞれですが、命には限りがあります。「時は命」という捉え方は、そのことを言い表しているように感じます。

 さて、古代ギリシアでは、時間を2種類に分けて捉えていました。「クロノス」と「カイロス」です。「クロノス」は地球の運動から割り出した時間です。時計が刻む時間です。「カイロス」は一瞬の出来事が永遠のように感じらえる時間です。

 近代社会の基礎を作ったキリスト教文化では、時間は一直線に進んでいくと考えます。他方、日本や東洋など、キリスト教文化圏以外では、時間は循環しているように捉えます。例えば、十干十二支のように、中国由来の暦では12を単位として循環し、さらに60年で還暦というように大きな循環があります。それは、太陽が1年周期で地球を回る楕円軌道や、自転軸が公転軌道面に対して傾いていることから、気象上の四季の変化を作り、それを観察することで作られた時間の数え方です。どちらの場合もこれは「クロノス」に相当します。この時間の観念は、社会の規模が大きくなるにつれて発達したものです。多くの人が共同作業をしたり、多くの職業が分業体制になるなかで、時間調整が必要になったためです。

 「カイロス」という時間の感覚は、時間調整のための「クロノス」とは別に体験するものです。個人的で特別な出来事があったときの記憶が「カイロス」です。感動的な出来事の思い出といっていいかもしれません。一人で体験することもあれば、誰かと一緒に体験することもあると思います。「生きていて嬉しい」というような感覚や、時にはとても大きな喪失感を感じるような悲しいことかもしれません。いづれにしても、それが「確かに自分が生きていること」を実感している時です。

 時間の不自由さは、人との時間の調整から生まれます。「クロノス」から解放された時間に自由が生まれます。ですから「自由に生きる」ということは、私は、「カイロス」の時間を生きるということだと思います。

 どんな体験を通して生きていることを実感するのか。ヴァシランドする生き方とは「カイロス」の時間を大切にする生き方です。

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