自己実現 ~物語を生きる~

「自己実現」について、以前、マズローの欲求段階説を手掛かりに考えました。そして、人それぞれに、その人にあったサイズの「マズローのピラミッド」があって良いのだろうと述べました。今回はそのピラミッドがどのように作られるのかについて考えます。

 昨年末に図書館で手にした本「日本の最終講義」に収録されていた「コンステレーション」という話に、私は感銘を受けました。河合隼雄さんの京都大学退官に際しての講義の記録です。河合さんは臨床心理学の先生で、心理カウンセリングもされていました。カウンセリングについてスイスで学んでいたころの話の中で、熟達したカウンセラーは一見すると何もしていないように見えることがあるということを体験から述べています。患者が自分自身で自己実現の物語を発見して、日常生活に復帰していくことを目指す中で、必要な対応をすることがカウンセラーの務めだそうです。

 この「自己実現の物語」を、「コンステレーション」という考え方から紹介されています。言葉の原意は「星座」です。星座を構成する星々のように、心理学では、人の意識の中で、いくつかの言葉が関連づけられて意味を構成しているという考え方です。人それぞれ違う人格でそれぞれの環境で生きていますから、全く同じ人生を生きる人はいません。それと同じように、心を病んだ人も千差万別にそれぞれの事情があります。ケガの治療などのように、処置方法が決まっていて、こうすれば治るというような決まったやり方はありません。患者本人が、人生の物語がどうなっているのか、それを見失ったような状態が心の病です。その物語に気づき、家族や地域社会、職場などでの自分の役割を果たせるようになれば治癒したことになります。この「自分の役割を果たす」ことが自己実現です。

 河合さんは「コンステレーション」を説明するなかで、「モーツアルトが交響曲を一瞬のうちに聞くんだ」「それをみんなにわかるように時間をかけて流すと、20分かかる交響曲」という例を挙げています。

 私の理解はここで少し飛躍します。ひょっとしたら、誰もがモーツアルトのように物語を一瞬にして認識することができるのではないかと思うのです。実は、河合さんのこの文章を読む2カ月前くらいに、私は不思議な読書体験をしました。ある本を読み進めながら、コピー用紙の上にメモをまとめていたら、それまでの私の人生の様々雑多な出来事が、言葉の関係図としてそれらを網羅するように目の前に現れてびっくりしました。そのときはそれを何と呼ぶのかをまだ知りませんでしたので、河合さんの文章を読んで、あぁあれがおそらく、まさにコンステレーションではないかと感銘を受けました。

 モーツアルトの喩えでは、一瞬のうちに聞いた交響曲を譜面に書き出し、演奏してはじめて曲が音楽として完成します。しかし、場合によっては曲が完成しなかったり、曲を譜面に書きあげる前に作曲家が死んでしまうことがあります。そうした未完成の曲はいくつもあります。1つの曲を自己実現の物語として考えると、実現しない物語もありうるということです。そうなると、自己実現とは何かということを改めて捉えなおす必要を感じます。

 ところで、仏教の経典に四弘誓願というのがあります。「衆生無辺誓願度 煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成」これで全部です。これは仏門に入る人が最初の誓いをするときに唱える教典だそうです。中国語は英語と文法上の語順が同じですから、最後の句、「仏道無上誓願成」を私はそのまま「仏道には上のまた上がある」と理解します。それは無限の遠くに1つの場所があるのではなく、そこに至るまでに段階的に「上」となる場所が無限に続いていると考えます。他の3つが平面的な広がりに対して、仏道は次元の重なりを表現しています。そして、人はそれぞれに、その寿命を終えたときにある段階の次元に至ります。

 私は、モーツアルトが曲を書くように、人生の全体像を見渡して1から順に生きるという人はあまりいないと思います。むしろ、四弘誓願にあるように、人生の物語も1つ上の段階に進むとその次の上の物語が見えてくるもののような気がします。そして、仏教では、過去も未来を含め全てが今この瞬間にあると考えます。一瞬一瞬が自己実現そのものです。

 ですから、その人の頭に浮かぶ人生の物語は、仮に物語の途中で終えることになったとしても、その結果が一つの自己実現と言えるのだと私は思います。また、その物語は、現実を受け入れる中で変化していくこともあると思います。そして結果として「マズローのピラミッド」に大小ができるのだと思います。

 

【参考図書】

・「日本の最終講義」(参考p421~)

 河合隼雄ほか著 KADOKAWA  2020/3/27

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