信じる(その2)
前回は宗教や信仰という観点から「信じる」について考えました。今回は、人を信じることについて考えてみます。
人のことを信じるというは、簡単そうでもありますし、難しそうでもあります。目には見えないので、正直言って悩ましいです。
そもそも、「信じる」とは「無償の愛」のようなものです。何か見返りのような打算が先にあって生じるものではありません。
辰巳芳子さんが信じることについて次のように述べています。
「良い食材で作った料理がいつもあることは人生を簡潔にし、自分を良く生かすのにまず必要です。・・・。いのちを頼ることで信じられる人になるのです。自分のいのちが信じられることが第一です。・・・。信じられるところにはじめて希望があり、そして愛が育ちます。」
まずは自己信頼、自分を信じられることが大切です。そこから、他の人を信じるということにつながります。辰巳さんによれば、自己信頼は、自分自身の健やかさが土台となります。そのために、良い食材で作った料理を食べることが大切ということです。
良い食材というのは、確かな食材です。辰巳さんは全国各地の農家さんとの交流を通じて、有機栽培や自然栽培の農作物や天然の素材を選び、利用を勧めています。私も、実際にお勧めの素材、例えば、鰹節と昆布を購入して一番出汁を取ってみたり、乾燥したシイタケを使った出汁で煮物を作ってみました。丁寧に作った出汁はそれだけで、美味しいです。舌に美味しいだけでなく、胃袋にスーッと染み込む感じで、体が生き生きとしてくるようにも感じました。信じるには、テクニックやスキルといった技術よりも、まずは体の内側から出てくるエネルギーを確かに感じることが大切だということがよく分かります。
人を信じるための基が少し分かったような気がします。
しかし、良い食材で良い食事に努めていても、健やかさを邪魔するものもあります。ストレスもその一つです。健やかさを保つには、ストレスとうまく付き合う必要があります。
ストレスには「良いストレス」と「悪いストレス」があります。
「良いストレス」は、例えば、プレゼンや音楽会などの発表の前の緊張感です。適度の緊張感があると、発表がうまくいくと言われます。一般にストレスというときには「悪いストレス」を指すことが多いです。
樺沢紫苑さんは、ストレスを翌日に持ち越さないためには、ポジティブ3行日記をつけると良いと述べています。これは、夜寝る前、できれば15分前以内にその日の体験から、うれしい、たのしい、おいしいなどのポジティブに感じたことを3つ思い出して、ノートに書く方式の日記です。
試しに、寝る前にその日のポジティブ体験を思い出してから寝てみました。これだけでも、とてもそれなりに効果があるような気がしました。
樺沢さんがいう、「就寝15分前以内」に「書く」という2つの条件は、その効果を増幅すると述べています。どちらも人の記憶に関することです。「就寝15分前以内」は脳の記憶の定着が良く、「書く」ことで、手の動作、視覚によってより強く記憶が定着するのです。これによって自己肯定感が高まります。
さらに、樺沢さんは、朝の散歩を勧めています。いくつかある理由のうち、脳内物質による理由づけがなかなか興味深く感じました。
本の中では幸福を感じる3つの脳内物質が紹介されています。「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」です。
散歩に関係するのは「セロトニン」です。健やかさを感じた時に発生します。朝の15分~30分程度の散歩でセロトニン神経が活性かするのだそうです。他にも「笑顔」や「瞑想」によっても「セロトニン」が分泌します。
「オキシトシン」は人との交流・コミュニケーションがしっかりとれて、幸せだなぁと感じているときに分泌すされます。
注意したいのは「ドーパミン」です。「ドーパミン」はスポーツ大会で優勝するなど、何か目標を達成したときに発生します。優勝したときは良いのですが、通常、優勝者は1人ですので他の人は負けます。ですから、目標にすることは良いのですが、過度の期待は「悪いストレス」のもとでもあります。また、甘いものを食べる時にも発生するそうで、お菓子やジュースの常習性を引き起こすもとでもあります。常習化すると肥満になりやすくなってしまいます。
ですから、ストレス対策で、本人の意思だけで簡単に始められ、習慣化させやすいのがポジティブ日記と朝の散歩です。もっとよく知りたい方は、自己受容の4行日記というのもありますから、よかったら樺沢さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。
朝の散歩と美味しいご飯、そしてポジティブ日記で、自分への信頼はなんとかなりそうです。実際には人との関係の問題ですから、その観点からもう少し考えます。
結論から言えば、「人のことは変えられない」です。ですから、ここでもまた、自分をどうするかということになります。
アンガーマネジメント、NVC(非暴力コミュニケーション)、マインドフルネス瞑想などについて書かれている本では、自分の感情に気づくことが大切だと強調されます。感情に気づくということは、客観視すること、静観することです。「感情のラベル張り」という表現を使うこともあります。
随分前に読んだ本なので題名を忘れましたが、瞑想の修行の経験を積んだ男の僧侶と一般人の男性の比較実験が紹介されていました。私の記憶があいまいなので多少盛っているかもしれませんが次のような実験です。
仏教の坐禅では、半眼といって目を少し開いた状態にしていて、その瞑想中、突然裸の女性が目の前に現れ(直ぐに姿を消します)たら、心の状態はどのような変化をするかという実験です。脳波を計測して比較します。
結果はこうでした。女性が現れた瞬間に、僧侶と一般人は、同じように脳波が乱れました。しかし、その後の経過が違いました。一般人の脳波がしばらく乱れたままだったのに対して、僧侶はすぐにまたもとの安定した脳波に戻ったそうです。
おそらく、僧侶は脳波の乱れをコントロールすることができるのだと思います。そのコントロールするための1つの方法が「感情のラベル張り」です。「感情のラベル張り」は、心の乱れ(意識の乱れ=脳波の乱れ)を押さえられるようになるための1つの技法です。
瞑想法には、かなり沢山の種類がありますが、基本的な考え方は、様々な雑念とうまく付き合う方法だということです。体験談などを読み、実際に瞑想をしてみると、「雑念を消す」というよりは「雑念が起きるままにしておき、それを眺めているうちに、消えてゆく」ということのようです。
瞑想を繰り返していると、「自分に気づく」ようになります。
脳には「古い脳」と「新しい脳」があります。古い・新しいは、生物的な進化と脳の変化の度合いのことです。「古い脳」は爬虫類などにも共通の生存に関する感情を制御しています。雑念は「古い脳」から発せられた恐怖感などの感情に対して「どうしよう!」と不安になってあれこれと妄想している状態です。
「自分に気づく」というのは、雑念がある意味で妄想に過ぎないことに気づくことです。今説明した脳の仕組み、役割分担が本当だとすれば、「信じる」という意識もまた妄想や雑念の一種だということが理解できます。つまり、この性質を逆手に利用すれば、自分の意識の在り方次第で「信じる」ということができるようになります。
「逆手に利用」と述べましたが、やることは基本的に同じです。「信じられない」という状況を生み出している「自分に気づく」ことです。不快な感覚と共に自分が在ることに慣れることです。そして、不快な状態も心地よい状態も永遠に続くことがないことに気づくことです。そうすると、現実に対して、どこまでが意識の在り方の問題で、どこからが物理的な状態によるものなのかという認識の切り分けができ、対応策を考えやすくなります。
冒頭で「信じる」が「無償の愛」のようなものとは述べましたが、愛とは違い「信じる」ことは一人でも準備ができそうです。辰巳さんの文章にあるように、「信じる」ことができるようになると「愛が育つ」のでしょう。
【参考図書】
・「生きるべきように生きれば、いつの日かかならず花は咲くものです」
辰巳芳子著 KADOKAWA 2016/9/8
・「ストレスフリー超大全」
樺沢紫苑著 ダイアモンド社 2020/7/1
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