自然の気づき
森や海、植物や動物などに触れることから生まれる気づきがあります。それは、「私は自然の一部である」という自覚のようなものです。私は10年くらいかかって、その気づきに至りました。
自然と関わるきっかけは「パーマカルチャー」との出会いでした。
「パーマカルチャー」は、「パーマネント」と「アグリカルチャー」から作られた造語です。永続的な農業ということで、1970年代にオーストラリアで、ビル・モリソン教授と助手のデビッド・ホルムグレンさんよって研究が始められました。実態は農業というよりは、自給自足の生活方法といった感じです。永続的であるために、その地域の気候風土、自然環境に寄り添った暮らし方です。(最近では「アグリカルチャー」のアグリを削って「カルチャー」と解釈して、都市生活などの分野にも広げて考えらえるようになってきています。)
私が「パーマカルチャー」という言葉を知ったのは2004年です。翌年の愛・地球博のプレ・イベントとして、万博の会場にパーマカルチャー・ガーデンを実際に作るワークショップに参加した時でした。
環境問題が気になり続けていて、自分はどうすれば良いかと思い、他の人たちはどのように考えているのか関心を持ち始めたばかりでした。環境活動のワークショップに参加するもはじめてで、参加することにとても意義を感じていました。毎月のように2泊2日(前泊して2日間)の日程で半年ほど続くワークショップでした。その中の座学で「パーマカルチャー」を知ったときは「これしかない!」とちょっと小躍りしました。
そのワークショップに私の地元から他にも2人の女性の参加者がいました。彼女たちから声を掛けられたのをきっかけに、地元で彼女たちが運営するNPOのボランティアスタッフをすることになりました。NPOの活動は、週末に地域の子どもを集めて、農作業、国際交流、伝統工芸などの体験学習をしていました。自然との関わりで中心的な活動は、畑で芋や野菜、綿などを育てたり、中山間地の田んぼでコメ作りでした。
5年くらいしたところで、NPOの活動が休止となり、その後、別の組織で、森林の再生や海の学習、自治体の環境政策の支援などの仕事をしました。
いろいろな環境活動に関わりましたが、どの活動も環境問題の解決にはほど遠く、問題の解決に優先的な関心を持つ人はかなり少ないというのが正直な実感でした。パーマカルチャーに出会って既に10年が過ぎていました。5年や10年で結果がでないのは当たり前なのかもしれませんが、少し距離を置いて考え直そうと思いました。
原点に返り、確か自分はパーマカルチャーに魅かれたのではなかったかと思い、イギリスに行ってみることにしました。その頃、パーマカルチャーはオーストラリアから世界各地へと広がっていました。私がイギリスを目指したのは、トランジションタウン(パーマカルチャーの理念をベースにした街づくりの活動)の発祥地、イギリス南西部の小さな街トトネスに興味を持ったからです。この活動のことは、辻信一さんの本で知りました。これに加えて、トトネスに隣接する区域にあるシューマッハ・カレッジやその創立者のサティシュ・クマールさんにも興味を持ちました。
とにかくトトネスに行って、トランジションタウンってどんな感じなのか、シューマッハ・カレッジってどんなところか、見てみたくなってイギリスに行きました。本当はカレッジで3週間くらいの講座に参加したいと思ったのですが、興味を引くコースが半年以上先だったので、とりあえず好奇心優先の決定でした。
トトネスでは、トランジションタウンの事務所に伺い、何か参加できそうな活動がないか探しました。行ったのが11月下旬だったので、ブラック・フライデーに行われたイベントに参加できました。ブラック・フライデーはクリスマスプレゼントを買出しする日として、街の小売店からアマゾンのようなインターネットサイトまで商戦が盛り上がる日です。その日のイベントは、そうした消費慣行を冷静に(批判的に)見て、気づくことを目的としたものでした。内容は、街の中心にある古城の周辺の公園で雑草を摘んでサラダにして、一緒にランチを楽しむというものでした。植物に詳しいスタッフといっしょに散歩しながら、野草摘みをします。30代~70歳くらいまで人が集まり、高齢の夫婦はメモを取りながら熱心に説明に聞き入っていました。シューマッハ・カレッジ訪問では、予めメールでやり取りして、ボランティアスタッフのエリザベスさんが私の案内係をしてくれました。当初、気になっていた講座でメインの講師となるジョナサンさんとのランチを急遽セッティングしてくれてびっくりしました。彼と話した結果、3週間のコースに参加するには、ディスカッションに必要な英語の聞き取り能力が十分になさそうだとアドバイスをいただきました。
3週間のコース参加は諦めるとして、カレッジで何冊かサティシュさんの著作やトランジションタウンに関する書籍を購入して帰国しました。サティシュさんの著書「No Destination」は2年の歳月をかけて、インドからモスクワ―パリ―ロンドン―ワシントンを歩いて旅した記録です。彼は、その当時の4つの核保有国の元首に会って核兵器廃絶を訴えるために歩き続けました。すごい人だなぁと感心して、会えないものかと思って、カレッジの短期講座の情報をチェックしていたら、3日間をサティッシュさんと過ごす講座が開設されていることに気づきました。早速申し込んで、再びトトネスに行くことにしました。
2回目のトトネス訪問では、サティシュさんの本で知ったフット・パスを歩いてみたいと考えていました。フット・パスとは散策道のことで、基本的には歩行者専用で、牧草地の脇などにあり、あまり舗装されていない道です。イギリス全土にあります。管理はその土地の管理者の責任になっています。トトネスの書店で地図を購入して、見てみたら、近所の農場レストランまで数キロのフット・パスを見つけることができ、半日かけて風景を楽しみながら散策しました。
シューマッハ・カレッジの講座は3日間でも、併設されている宿泊施設を利用して、みんなで暮らす感じです。パーマカルチャーの手法で学生たちが菜園を管理して、ベジタリアン料理で朝昼晩の三食、お茶の時間のクッキーやスイーツを学生とスタッフが協力して準備します。残念ながら、私が参加した3日間のコースでは時間の都合で畑作業や料理はできませんでしたが、どの料理もお腹から癒される感じを受けました。カレッジ自体が緑に囲まれていて、座学も時には庭に椅子を並べてとても開放的な雰囲気でした。また朝には、パートナーのジュンさんのリードでキゴング(qi gong 気功)のレッスン(任意参加)が庭で行われました。講義は座学の他に、森の散策もあり、植物などの生物、空、川、原っぱなどの自然環境の中で過ごし、サティシュさんの自然に対する態度、雰囲気が少し分かったような気がしました。彼が「we are part of nature」と言っていたことが体感として印象に残っています。
帰国後は、日本でトランジションタウン活動している人たちに会ってみたいと思って調べていたら、浜松のグループが活発にやっていそうということで、イベントに合わせて何度か訪問しました。
浜松に行くたびに、自分の地元でも何かしたいなぁと思いつつ、なかなか具体的な行動ができず、もやもやしていました。トランジションタウンの活動に興味を持ちそうな知人に少し話したことがあるのですが、運悪く、1人、また1人と私の住む町から他の所へと引っ越してしまったこともあり、フラストレーションを感じていました。
それでもやっぱりパーマカルチャーでしょと思って、最近、パーマカルチャー関連の動画を検索して、いろいろと見たら、あらためて気づくことがありました。
動画で印象的だったのは、オーストラリアの「artist as family」という家族です。この家族はパーマカルチャーを始めたデビッド・ホルムグレンさんとも交流があり、1/4エーカー(約1000㎡・約300坪)の土地に家を立て、畑を作り家族4人(現在は3人)とペット1匹で暮らしています。トイレットペーパーを使わず、そのかわりファミリー・クロスと呼ぶ小さな雑布を使い、洗って再利用するなど、環境に配慮した徹底した暮らしをしています。地域の農家や家庭と作物を交換するなどして食料はほぼ100%自給しています。
パーマカルチャーに魅かれていろいろと活動してきた私ですが、彼らの暮らしぶりを見て、このレベルまでは自分にはたぶんできないだろうなぁと思いました。それと同時に、自分自身は今以上のパーマカルチャー的なものを求めていないような気がしてきました。
振り返ってみると、パーマカルチャーと出会って10年が過ぎましたが、私自身は町中で暮らし、自宅に小さな畑があるくらいで、自給自足からはかなり遠い暮らしをしています。
パーマカルチャーに対する熱が少し冷め、少し距離を置いてみるようになり、意外にも自分と自然との距離感がちょうどよくなったような気もします。
パーマカルチャーが最初のきっかけでしたが、もともと環境問題をなんとかしたいという正義感のような義務感のような気持ちがありました。そうした私の心の在り方が少し変化してきたなぁと感じます。
環境問題とは別の観点で自然との関わりからは、例えば、知人の誘いで、私は5年程前からバードウオッチングの探鳥会に参加しています。そもそも、その知人が鳥を見るのが好きで、高校生のころからずーっと続いているという点をとても興味深く感じました。探鳥会に月一回のペースで参加するだけでも、鳥を見ることが楽しくなりました。バードウオッチングに参加する人たちに接していると、環境問題の前に、「鳥を見るのが好き」「自然が好き」ということを感じます。私が関わっていたNPO活動では、あまり感じられなかったことです。
また、シューマッハ・カレッジでの体験や、サンティアゴ巡礼の体験を通して、自然の中で過ごしたいという意識が強くなり、週末の朝に森林公園を1時間半くらい散歩するようになりました。あぁ、気持ちいいなぁと思って歩いていて、ある日、ふと「私は自然の一部」という感覚を感じるようになりました。
このように、自然との関わりを通して「私は自然の一部」「私は地球の一部」という感覚に気づきました。それは、体を動かしてみないと気づくことはありません。自然を守ることが大事だという正義感も大切ですが、「私は自然の一部」ということを「正しい」という感覚でとらえることは少し堅苦しく、窮屈に感じます。それよりは、それが「楽しい」という喜びの感情と結びつくような活動になれば、長続きするように思います。
自然の一部として自分を捉える意識は深い気づきです。自然界のルールというと弱肉強食の争いを思い浮かべることもありますが、私はそれよりも、多様な生物が調和する世界を強く意識します。木が枝を伸ばすように、のびのびとしなやかに生きていたいなぁとつくづく思います。そしてそれがヴァシランド的な生き方なのだと思います。
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