スロー・ファースト

 私は旅先でよくゲストハウスを利用します。「安い」のがその理由の一つですが、ゲストハウスならではの魅力もあります。ゲストハウスでは、特に外国人は同室になると他の客とあれこれ会話をします。内容は挨拶、旅の情報交換、異文化交流などです。おしゃべりするだけのことですが旅が楽しくなります。そうした出会いが面白くて、海外でも国内でもゲストハウスに泊まることがよくあります。3年前にゆっくり仏像を見ようと思って2泊3日で奈良に旅行したときもゲストハウスでした。

 このときは、フランス、ベルギー、ブルガリア、カナダ、スペイン、イスラエル、中国、アメリカの8カ国12人の人とお話しすることができました。中でも、朝食のときにダイニングで、私を含め5カ国の人がそれぞれに用意した朝食を食べながら、フランス語と日本語がごちゃごちゃになった会話は、まるでフランスで遊んでいるような感じでした。和そばを茹でてイタリアチーズの塊をのせる人、トーストと味噌汁の人、それを見るだけでも楽しい発見があり、おしゃべりのネタにもなります。旅行日数を聞いてみると、2週間~6週間くらいの予定で滞在といっていました。ブルガリア人の男性は、ちょっとユニークな感じで、日本で生活するのが楽しみで、同じところに3週間ほど滞在して、ぶらぶらして、気が向くと観光地にも出かけるといっていました。外国人旅行客に合うと、このゆったりとした感じがいいなぁといつも感じます。

 さらに5年ほどさかのぼって、青春18きっぷの旅をしたときのこと、予定の下車駅をうっかり過ぎてしまいました。総勢20人くらいで移動していたのですが、幹事さんがしっかりものだったので、みんなくつろいでいて、気づいたときにはドアがちょうどしまってしまいました。旅にちょっとしたトラブルはつきものです。次の駅まで、車窓から風景を眺めていて、予定外の山間のきれいな景色を楽しむことができました。

 旅はそれ自体が日常から離れていてのんびりした雰囲気があり、意外な発見があります。また、日常でも少しスピードを緩めてみると気づくことがあります。

 例えば、移動の手段を車から自転車や徒歩に変えるだけでも、いつもの風景が違って見えてきます。車の場合は、車内はプライベート空間という印象を受けます。単純なことですが、自転車や徒歩の場合は車のようなドアがありません。ですから、すれ違う人があれば挨拶をしたり、足を止めて少しおしゃべりしたりすることが簡単です。また、特に歩きの場合は普段は通らないような狭い道を試すこともできます。一本筋が違うだけで、街の表情がガラッと変わることもあります。

 ところで、スローライフ、スローフードなど、交通や移動意外にも「スロー」という言葉が普通に使われるようになりました。「スロー」という考え方は1986年にローマで始まったスローフード運動がきっかけで世界に広まりました。直接的にはマクドナルド出店に対する抗議を表明するためで、いわゆる「ファストフード」に対抗する意味で「スロー」が使われました。日本国内の協会SLOW FOOD NIPPONのサイトを見ると「スローフード」とは「おいしく健康的で(GOOD)、環境に負荷を与えず(CLEAN)、生産者が正当に評価される(FAIR)食文化を目指す社会運動です。」とあります。サイトには、どんな食べ物のことかは具体例がありあせんが、私の理解では、郷土料理や家庭料理などがスローフードの代表例です。

 私は随分前からスローフード運動に関心を持っていましたが、具体的にスローフードの良さを感じたのは、数年前に料理研究家の辰巳芳子さんの料理に出会ってからです。きっかけは映画「天のしずく」で「いのちのスープ」に興味を持ったことです。その後、辰巳さん監修の料理本を購入して、ときどき料理をしています。いわゆるレシピはちょっと違った雰囲気で、とにかく、丁寧な印象を受けます。魚のあらから出汁を引くときは、1手間2手間多く、時間がかかります。その分、雑味やいやな匂いがせず、透明感のある味に仕上がります。ブリのあらを使ったブリ大根は出汁を捨てるのが惜しく、残った出汁にもう一度大根を足して2回目のブリ大根を煮ました。特に高級な食材でなくても、手間を惜しまずに料理すれば本当に美味しいものが出来上がることがわかり、感心します。また、こうした料理であれば、食べて楽しいし、食卓での会話も弾みます。

 旅にせよ、食事にせよ、スローに過ごす時間に見えてくるのは、人の姿といっていいかもしれません。車では、「移動」でしかない場所が、人との出会いや発見の場になります。何かを発見することは、その人の気づきですから、自分自身との出会いとも言えます。そして、スローな食は、味の美味しさだけではなく、人と過ごす時間や、野菜などを作っている生産者のことを思い起こすいい機会ともなります。

 ファストフードは手軽で便利ですが、その分、いろんなことが省かれていることに気づきます。スローフードの視点から見れば、省かれているのは人との交流だと感じます。コロナ禍で人との接触の機会が極端に減ってしまった今、改めてスローな文化の大切さを感じ、考えたいものです。

0コメント

  • 1000 / 1000