別れは出会いの始まり
「See You」というあいさつを英語で実際に使ってみると、私は日本語の「さようなら」とは少し違う何かを感じます。
私が英語の「See You」という挨拶を知ったのは中学生の頃だったと思います。実際に使ったのは大学生の頃に留学生と会話するようになった頃で、英会話の決り文句以上に何か感じることもなく、「さようなら」と同じように感じていました。日本語のほか、現在、世界には5000種類の言語が使われているので、挨拶の種類は無数にあるともいえます。英語ひとつ取っても「See You!! Bye bye!!」「See You again!!」「See You Tomorrow!!」など別れの挨拶にはバリエーションがあります。それでも「さようなら」であることに違いないと思っていました。
大学を卒業し、海外旅行に行くようになり、フランスや中国で、別れの挨拶「Au revoir! ! (オールボワール、再び見ましょう)」「再見!!(ツァイチェン)」などを使ってみると、なるほど外国人は「See You」なんだなぁと思うようになりました。
ところで、「さようなら」のどの部分が別れの意味なのか、考えたことはありますか?
実は「さようなら」の表記には別れの意味合いはありません。別れの意味が端折られています。もととなる「さようならでは、おいとま申し上げます」のような言い回しの、前半だけが切り取られて使われます。「さようなら」は「そうであるならば」という意味です。「それじゃあ」というのとよく似ています。また、俗に京都の料理屋で「ぶぶちゃでも・・・」と茶をすすめられたら、「もうそろそろ、帰ってほしいなぁ」という合図の挨拶だと言われます。昔から、日本人は空気を読む会話を好んで使ったのかもしれません。あるいはその逆に、遠回しな表現をする中で、徐々に空気を読む文化ができてきたのかもしれません。
「See You」を直訳すれば「あなたを見よ」ですが、こちらも日本語とおなじように省略されている文字があります。「I will see you.」の「I will」が省略されています。「私はあなたを見るだろう。」で「お会いしましょう」の意味です。こちらは、「See you」に「省略されているものは何か」を知らなくても、推測しやすいです。
とはいえ「See You」もまた、言外の意味というか、余韻を感じます。旅の別れで「See You!!」と言ったり聞いたりすると、再会をいざなう気分を感じます。「さよなら」とは違う感じです。日本では「会うは別れの始め」とは言いますが、その逆で、別れが何か次の出会いを予感させるような気分です。
初めての海外旅行でこんなことがありました。私は、アフリカのブルンディという国の首都ブジュンブラに滞在しました。フェリー待ちの2・3日の滞在だったと思います。宿は、教会が運営するドミトリーで、宿泊していた他の国の人たちと一緒に晩ごはんを食べに、街のレストランに出かけていきました。街灯もほとんどない夜道の道端にホタルが飛び交っていたのを今でも思い出します。レストランで何を食べたかは忘れましたが、お店のスタッフ(店長さんだったように思います)が話してくれたことを今でも覚えています。(ブジュンブラの街は、タンガニーカ湖の北端に面していて、南北673kmの細長い湖の東岸のほとんどはタンザニアで、その中腹には標高1800mのマハレ山があります。)「あのマハレ山には足がないけれど、我々には足がある。ひょっとするとまた、どこかで出会うことがあるかもしれないね」というようなことを言っていました。
彼の顔はすっかり忘れましたが、「また逢えるかもしれない」という思いは今も心に残っています。世界中の言葉が「See You!!」「Au revoir! !」「再見!!」と同じというつもりはありませんが、旅先での別れの言葉は、「別れは出会いの始まり」という気分を感じます。
「別れは出会いの始まり」という感覚はあとを引きます。それは、その出会いが面白いからです。では、出会いとはなんでしょうか。
知人の意見を借りれば、「旅行」と「旅」は違うものです。「旅行は何時どこそこに行くという日程が決まっているのに対して、旅は、大まかな流れだけ決めて、風の吹くまま、気の向くままに行きたいところに行き、止まりたいところに泊まる」というのが彼の解釈です。「旅行」と「旅」を厳密に区別ことは私には難しいのですが、彼の言いたいことはなんとなく分かります。
「旅行」では、人や風景、食べ物などとの出会いが、予定した内容を実際に確認するという体験のような気がします。感動がないわけではないと思います。それはネットで見た○○のケーキを食べたという一種の達成感のようなものだと思います。出会い頭という言葉があるように、本来「出会い」は偶然に起こることなので、「旅行」の場合は「出会い」というよりは「訪問」のような、会うことや何か予定された体験があることが前提とされています。
これに対して「旅」での出会いは、偶然に起こることですから、まさに出会いです。海外であれ、国内であれ、その場、その時、その物、その人を楽しむことが、出会いです。その場、その時、その物、その人に何も関心を持たず、関わることがなければ出会いは生まれません。
例えば、国内旅行で思い出す2つの出会いがありました。
1つ目は5年以上前だと思いますが、東京駅から名古屋方面の新幹線に乗ったときのことでした。座ったのは進行方向に向かって右手は2人掛けの椅子でした。窓の外は山側、つまり、静岡県で富士山が見える側になります。2席のうち窓側には既に年配の女性が座っていました。彼女は東京駅を出て、新横浜を過ぎた頃から小さなスケッチブックを取り出して、風景のスケッチを始めました。どんどん変わる風景をどうやってスケッチするのか興味深く思って、私はそれを横から眺めていました。どちらが、話しはじめたか思い出せませんが、そのうちおしゃべりをすることになり、彼女は、スケッチしながら、その描画法を解説してくれました。写生してるんだけど、実際にはない風景が画面に出来上がる様子は、ライブで解説があって初めてその面白さを味わうことができます。出来上がった作品だけを見てもそのことを感じるのは難しいでしょう。
2つ目は3年前に奈良に旅行したときのことです。東大寺の法華堂で仏像をのんびり眺めていたときに、九州からこられた年配の女性が仏像を眺めながら話かけてきました。その女性は奈良に来た経緯などを、独り言とも話しかけとも取れるような話し方で話されたので。なんとなく相槌をうつような感じで返事をして過ごしました。内容は覚えていないのですが、5分か10分のことでしたが、なんとなく気心が触れ合うようなそのひと時の雰囲気を思い出します。
こうした偶然の出会いに惹かれます。どちらも、旅が特に非日常だから起きたということではなく、日常的なことが、旅の中でいつもと違った感じで現れているように感じます。その意味で「別れは出会いの始まり」を強く感じるのは「旅」です。「新たな出会いがある」と思うと、また旅に出たくなります。
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