難しすぎて面白い現代美術

 「ボイス+パレルモ」展を豊田市美術館で観ました。この展覧会は、豊田市の展示が終わると、埼玉県立近代美術館と国立国際美術館に巡回するという、かなりしっかりと準備された展覧会です。ボイスの本格的な展覧会は国内では10年ぶり、パレルモが紹介されるのは初めてです。

 「ヨーゼフ・ボイス」といえば、難解な芸術作品の代表的な作家です。

 今回の展覧会も例に漏れず難解な様子ですが、なぜ難解なのかが少し分かったような気がしました。「言葉で理解することができないような方法で表現されているから」というのが結論です。

 随分前になるので、どこに掲載されていなのか(あるいは人づてに聴いたのかも)思い出せませんが、ミヒャエル・エンデとヨーゼフ・ボイスについて対比的に語られた文章で、「ボイスは『芸術は理解されなくても良い』ということを言った」と書かれていたことを思い出しました。

 今回の展覧会では、展覧会を開催する美術館の(学芸員の)意図が最初に気になりました。私は「難解な」という先入観があったので、とにかく、会場に展示されている説明文や作品タイトルの表記を手がかりにしました。ところが、説明の仕方に統一感があまりありません。

 例えば、会場1室目に掲示される展覧会全体を総括した挨拶文で、パレルモの作品について「揺らぎをもたらす」という表現が気になりました。パレルモの作品を観るのは初めてなので、この「揺らぎ」を手がかりにしようと思いました。このパネル以外にも2箇所の説明文の中で似たような文章がありましたが、うまく意味が取れません。そこで、併記してある英文を参考にしてみると、三者三様の表現になっていました。それ以外にも、日本語の解説文が読みづらい箇所が所々にあり、日本文から英文を書いたのか、その逆なのかと確認したところ、日本文が先で、この展覧会のために書き起こしたもので、必ずしも1人の人が全てを書いていないかもしれないし、また翻訳しているわけでもないという回答が返ってきました。

 今回気づいたのは、この「言葉によって理解する」という態度が、難解さを引き起こしている原因の一つになっていることです。逆に、「言葉の役割を従来の役割に限定しない」という態度でボイスの作品タイトルを見てみると、そのように見える作品タイトルがありました。

例えばフェルトを使った作品のタイトルが特徴的です。「人物とフェルト彫刻(Figur mit Filzplastiken)」「フェルトのハガキ(Filzpostkarte)」、ボイスは「フェルト彫刻」「フェルトはがき」というドイツ語の造語を作っていることが分かります。それに対して、日本語訳では「フェルト彫刻」「フェルトのハガキ」というように、その表記の翻訳の態度に一貫性がありません。「どうしてそうなるのか」と再び館内の係員に尋ねると「収蔵している美術館の翻訳を尊重している」と説明されました。ここに挙げた2例はそれぞれ別の美術館の所蔵となっています。

この例から分かることは、ボイスの作品について美術館によって理解の仕方が違うこと、そして、ボイスが従来の一般名詞の組み合わせによって作品タイトルを作るだけではなく、積極的に造語を作っているということです。つまり、ボイスは自分の意図に即して言葉を作り、意味の伝達において、日常的に使う意味以外の何かを伝えようとしていることが理解できます。そして、その理解を巡っては、人(美術館(の学芸員))によって違いがあり、作品を持ち寄って企画された展覧会において、作品収蔵している美術館という限定的な美術館の間でさえその違いについて、30年以上前の作品でも未だに整理がされていないということです。

このことを肯定的に受け止めるのであれば、「言葉に準拠して作品を理解することをボイスは意図していない」というボイスの芸術に対する解釈が定着しているとも言えます。ここにボイスの提唱する「社会彫刻」の意図が現れているとも取れます。

ボイスは、「すべての人は芸術家だ」と言い、人の活動のうち、かなり広範囲の活動を「芸術」として捉えようとしました。

「社会彫刻」の意図が、人の活動を創造と結びつけ、体験的に実現することに焦点を当てているのであれば、言語化することに執着しない方が論理的に一貫して感じられます。

とても分かりにくいことですが、日本語と英語では、言葉の社会的な意味づけが違います。英語やヨーロッパ言語はキリスト教社会で使われてきました。キリスト教の新約聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭にある「はじめに言葉ありき」という有名な言葉があるように、「はじめに言葉ありき」と記した人の意図が何であれ、欧米の多くの人にとって言葉は神と人をつなぐ大切な道具です。あえて解釈すれば、言葉はまずは神から人に向かって使われるものです。

 ボイスは、この「神と人をつなぐ道具としての言葉」からの自由を求めたのではないでしょうか。

 1789年のフランス革命以後、ヨーロッパの芸術や関連する文化的な活動において、「自由」は人権という基本的な価値の中心的な位置を担ってきました。「自由」の旗の下に、印象派に代表される近代芸術から、やがてキュビズムや構成主義、ダダイズムなど様々な活動が生まれ、2つの世界大戦を挟んで、新しい文化の世界的な中心がフランスからアメリカに移り、芸術表現はより多様なものになりました。

戦後、映画やテレビ、コマーシャルなどを通してそれまでの芸術とは別に大衆文化が隆盛しました。人々が暮らす社会環境の変化がそうした文化を生み、芸術文化は更に多様になりました。

アメリカが経済・文化を牽引する一方で、ヨーロッパや日本もまた戦後の復興を通して、自由を享受し謳歌してきました。ボイスが芸術活動を活発に始めた1960年代はそうした自由の気分があったのだと想像します。

政治の世界では、朝鮮戦争、ベトナム戦争、東西冷戦など深刻な状況がありましたが、それがあったからこそ、自由主義という価値とは何かを強く意識していた時代でもあったと思います。

「自由主義という価値」という意味で、ボイスの作品群はそれがどんなものなのかをよく表していように感じました。パレルモという芸術家の作品とともに展示することでそのことがよりはっきりと伝わるように感じました。

様々な予断から自らを開放して表現をすると、表現を鑑賞する人との間に前提としての何か(=予断の基盤となるもの)がないので、意思疎通はかなり困難になります。意図や意味の伝達という考え方そのものが、予断の一部を成していると考えれば、鑑賞する人もまた予断から開放されて自由にそれを観ることによって、ボイスの作品の鑑賞は十全に成され得るということです。意図を理解するか理解しないかという基準がなく、理解したいか、そうしたくないかという選択的価値に置き換わります。

ここまでの自由度を許容すると、この展覧会が持つ「自由さ」が感じられるようになります。

展覧会第一室の出入り口の天井付近にパレルモの作品があります。正確に言えば、パレルモが残した道具を使って、豊田市美術館の学芸員がステンシルによって描いた青色の三角形の作品があります。ボイスもパレルモも世を去って30年以上経ちます。この青色の三角形はいったい誰の意図によってそこに描かれたのか。それは作品か。こうしたことを許容しながら展覧会は成立しています。

 「自由主義的な平和」が1つの社会のあり方の理想であるならば、その理想の姿が展覧会場の中に表現されています。それは同時に「自由主義的であることは難解である」ということが良く理解できると思います。

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