シークエンスは作られる?

 美術展覧会「ボイス+パレルモ」展を豊田市美術館で観ました。いわゆる現代美術の展覧会です。

 現代美術は難解だと言われますが、現代美術の難解さは既に100年余りの年月が経過しています。今から100年前には何があったのでしょうか。

 この作品はマルセル・デュシャンの作品です。(※写真はパリのポンピドー・センターの美術館で撮影したものです。)1917年にこの作品が制作されて発表されました。男性用の小便器を横にした作品です。「R.Mutt 1917」という文字が書かれています。作品の題名で「泉」と訳されます。年代として、この辺りから難しい美術が始まりました。

 ボイスが発表活動を始めたのが1960年代ですから、今回の展覧会は1960年以降の作品です。難解な現代美術が始まって半世紀が経ち、難しさの頂点ともいえるのがボイスの作品だと思います。パレルモはデュッセルドルフ芸術アカデミーでボイスに出会い、ボイスの影響を受けました。ですから、パレルモの作品もまた難解に見えます。

 二人に共通することの1つは、作品を作る発想において、視点の置き方、意識の置き方をより自由にする態度にあります。表現形式は、特定の技法にこだわらず、同時代の現代美術の他の作家の影響を受けながら作品に活かしているといっても良いかもしれません。そして、素材を簡便な(技巧的なでない)手法で使っている点では、ボイスとパレルモ両者に共通する特徴です。

 しかし、作品が生み出される背景や意図といった思考を脇に置いて、美術作品を単に物体として見るかのような態度で観てみると、「表情の簡明さ(方向性をもって造形要素が整理されている)」にボイスとは違うパレルモの美意識を感得することができます。パレルモの作品の方が美術作品として親しみやすい印象を受けます。

 展覧会で8番目の展示室(以下「第8室」という)「流転するイメージ:パレルモの金属絵画」にはパレルモの作品が展示されています。アルミニュウム板の上にペイントした作品を中心に展示構成されています。第8室の説明パネルを読んでいて、気になった言葉が「シークエンス」です。「シークエンスを作る」という表現がされていたのが、気になったポイントです。そして、この展示室の作品群を鑑賞するにあたって、パレルモらしさを感じ取るポイントが「シークエンス」ではないかと思いました。

 私は「シークエンス」を1つの単語ではなく、「シーン」と「シークエンス」という2つの言葉の組み合わせで意味を理解しています。「シーン」と「シーン」をつなぐのが「シークエンス」です。

 例えば、自分で動画を撮影するところを想像してみてください。初めて動画を撮るのであれば、対象を追いかけるように撮影すると思います。カメラのファインダーを覗きながら(モニター画面を見ながら)撮影しているときには気づかないのですが、視点はふらついています。その動画を再生してみると、気持ち悪くなったりすると思います。

 それに気づくと今度は、フレーミングを意識するようになります。画面をなるべく動かささないようにして対象となる人や動物、車や電車などがどのように画面の中で動くかを想像して、フレーム(画面の構図)を決定します。その次の段階は、フレームとフレームをつなぐことになります。

 ここで、一度「シーン」と「シークエンス」の言葉の意味を確認します。

 「シーン(scene)」は「場、場面」、「シークエンス(sequence)」は「連続するもの、連続、順序」です。「シークエンス」をウイキペディアで見ると、映画の項目には「カットの集合がシーンを構成し、さらにはそのシーンの集合がシークエンスとなり、・・」とあり、建築の項目には「移動することで変化する景色」とあります。

 フレームの中に1つのシーンが撮られます。フレームとフレームつなぐということは、シーンとシーンをつなぐことです。このつなぎが「シークエンス」です。

 撮り終えた動画を編集するときは、区切りの良いところで動画を切り取り、1つのシーンが出来上がります。そして、複数のシーンをつなぎあわせてシークエンスができます。ウイキペディアの知識を参考にするとこのように理解できます。

では、編集の際に切り落とされた部分はいったい何と呼ぶのでしょうか。

 実は、こちらが私の理解している意味での「シークエンス」ではないかと思います。語源を調べるサイト(https://www.etymonline.com/)で見ると最初に使われたのは14世紀後半で「hymn sung after the Hallelujah and before the Gospel(ハレルヤの後、ゴスペルが始まるまでの間歌われた賛美歌)」という意味になります。

 実際の動画編集では不要なところが切り落とされるので、実際には語源の意味での「シークエンス」には当たりません。しかし、実際に置きている出来事は動画撮影とは違って、ある「シーン」と次の「シーン」の間にもなんらかの動作や物語があります。

 例えば、2015年のラグビーワールドカップで有名になった五郎丸選手の「五郎丸ポーズ」ともよばれた一連の動作(ルーティーン)があります。ペナルティキックを思い浮かべてみます。まず、反則プレーでゲームの流れがいったん止まります。そしてペナルティキックが行われますが、ボールを蹴る動作に入る前に、「五郎丸ポーズ」が入ります。動画の編集では「ファールの笛」のシーンから「ボールを蹴る瞬間」までを切り落とすことはできますが、そこに大切な「シークエンス」があるのです。(「五郎丸ポーズ」と名付けられた後になってからは、それは落とせない「シーン」になります。)

 「シークエンス」の解釈でどちらが正しいということではなく、「シークエンス」は意味の境界線が広い(境界があいまい)ということです。大事なことは、「シークエンス」は「シーン」の前に存在せず、「シーン」は「カット」を抜きにして考えられないということです。

 第8室のパネルに話を戻します。パネルには英文が併記してあり、当該の箇所は「・・・combined in sequence」となっています。「シーンの中で関係づけられる」というような意味になります。展示された作品は下の写真のような感じで、数枚の絵が配列されています。(写真は展覧会のフライヤーの裏面に掲載されたもの)

 順序立てて配列を決められているという意味で「シークエンスを作る」と解すこともできます。一般的に考えると、それはあえて言及する必要がありません。2点以上の作品を1つの組として作品が作られた場合に、配置の順番や位置関係を指定しないことの方が稀だからです。また、パレルモの場合は、作品が抽象的な(色面構成的な)作品ですから、4枚一組と見ること(視点A)も、1枚の作品が4つ並んでいると見ること(視点B)も可能です。ですから「シークエンスの中で関連付ける」と表記することに意味が出てきます。視点Aと視点Bの両義的な存在として作品を捉えるには、「シークエンス」を固定的なものではなく柔軟にその意味の境界を変更できような、意識のあり方に遊び(余白)が必要です。視点Aと視点Bを行き来するような揺らぎを含みながら、「絵画という体験」あるいは「体験としての絵画」という芸術のあり方が見えてきます。「シークエンス」という言葉が使われた意図は、そこにあるのではないかと思います。

 そして「体験としての絵画」として捉えることは、「社会彫刻」という境界なき芸術表現を展開したボイスと関連してパレルモの作品を捉えることにつながると思います。

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